「てぇ」を含む七つの所感

心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ。リスペクト吉田兼好



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日本語入力になっていると気付かずに「the」と入れようとすると、「てぇ」となる。間違ったという脱力感のみならず、その響きでまた脱力する。「てぇ」て。。。



バスの運転手は、あんなにもカオティックな状態のコインの総額を、あんなにも瞬時に、どうやって見極めるのだろう。秘密の訓練でも行われているのだろうか。それともどの道最初から確認してなどいないのだろうか。



ピスタチオが好きすぐる。甘さも塩辛さも苦味も香ばしさも、すべてがそこにあるし、またあの殻をテイクケアするちょっとしたプロセスもなんともいえずよい。どこかにピスタチオを神聖視する宗教でもあれば入信してもいい、そんな気さえしてくる。



スーパーなんかでよくかかっている、歌なしの妙ちくりんなピコピコ音に加工された一連の曲たちは、あれはあらゆる芸術的価値への重大な挑戦だと思う。



夜中に、自販機に缶コーヒーを買いに行くと、物体としてのその大きさ、かたち、重さの、あまりの完璧さに、思わずどこか適当なガラス窓に思いっきり投げつけたくなる。その際必ず、梶井の『檸檬』の有名な一節、「つまりはこの重さなんだな」を思い出す。



最近テレビで、大好きな向田邦子原作のドラマをやったらしい。重ねていうがこの部屋にテレビはなく、しかしこういうときにはちょっとあればいいかな的には思うけれど…やっぱ基本いらない。



焼酎も日本酒も飲まないビール党員だけれど、駅のホームで、iichikoの大きなポスターを見て、意識する前に眼球にサッと涙の薄幕がはった。まったくiichikoは恐ろしくセンスがよくて、CMも泣かす。日本だとか、来し方や行く末、一切合財の全てを賭して、理想の世界像とはああいったものだと、そう言い切ってもいいとさえ思わせる、そんな力がある。