塩素の匂い、パトリの萌芽

部屋中を掃除して、スッキリした。水道管の詰まりをとる液体を、原液のままだったり薄めたりして水まわりを掃除したので、部屋中が塩素くさいが、この手法、驚くほど汚れが落ちて綺麗になる。おかしな言い方だけれど、「ぺんぺん草も生えない」感がある。あらゆる汚れたちよ、さようなら、そしてざまあみろ。アディオス、また会う日まで。お勧めです。


男にしてはこういう家事全般が苦にならない自分にとっては、(始めてしまえば)掃除は楽しい。自分が通った跡が、清潔になる。終わった後の部屋は、明らかに余計な粒子が減り、透き通っている。干した布団やシーツは、あとはお日様に任せておけばいい。いくらテクノロジーが進歩しても、こういう身体感覚は変わらないだろうし、大事にしたいと思う。


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さて井上陽水の曲の中でも、あまりメジャーではないこの曲を、よくMP3で聴きながら、これはただの少年期を懐かしむ無邪気な曲でなく、ある危険性を感じ取り、偏愛している。ずっとうpしたかったのだけれど、ようつべにネタがなかったのが、今回発見し、早速うp。


あなたがどこで育ったのか知らないけれど、海でもいいし山でもいい、百歩譲って町でもいい。それだけしか聞こえないほど息せき切って坂を上り下りし、急に視界が開けたときの、そのテンス。例えばそういった感覚を具象化したような、ストリングスとピアノとコーラスのこの緊張感。極限にまで凝縮された生のさ中の、いま一歩その先に垣間見える死。