プールサイド小景

「なし崩し的文学シリーズ」第3弾。

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)

庄野潤三が死んだ。庄野潤三は戦後のある特権的な単位である「家庭」にこだわった。我々はそれを「生活」と呼ぶこともできる。



『舞踏』の冒頭。



「家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついているやもりのようなものだ。それはいつからということなしに、そこにいる。その姿は不吉で油断がならない。しかし、それはあたかも家屋の内部の調度品の一つであるかの如くそこにいるので、つい人々はその存在に馴れてしまう。それに、誰だってイヤなものは見ないでいようとするものだ」…



また、その終盤。



「ギンギンギラギラ夕日が沈む
 ギンギンギラギラ日が沈む
 まっかっかっか 空の雲
 みんなのお顔もまっかっか
 ギンギンギラギラ日が沈む」…



我々がみな、日常において自明と思い込んでいる(あるいは何も考えていない)諸々の事象の中で、「家族(もしくは夫婦)」というものは、考えてみれば奇妙なものかもしれない。



それは一見、必然性に支えられた集団のようにみえて、その実、単なる偶然性の所産にすぎないのかもしれない。いやそういったらその先に透けて見える、人間の一生というもの自体が、そういったものかもしれないけれど。とにもかくにも、日常の風景が、輪郭が、陽炎のように揺らぐのだ。朝昼晩、声も足音も静寂も、窓に射す光もどこかしらうそ寒く。