Psycho Killer, Ques Que Ce?
- 作者: 宮沢章夫
- 出版社/メーカー: 白夜書房
- 発売日: 2006/07/18
- メディア: 単行本
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無論どの時代が単純にgoodだったなどといえるはずもなく、各々の時代に優れたものと劣ったものがあるにすぎない、ということはいうまでもないけれど、それこそ「実りのある」考え方としてありうべきは、80年代がスカであったと言わしめている、その構造とは一体どういったものか、ということだろう。
80年代のある種のスノビズム、シニシズムは詰まるところ、「身体性の欠如」ということができると思う。あるいはそれへの欲求であると。つまり「アツいものはダメ」ということ。より冷めた、もしくはより軽い、より明るいものへの嗜好であると。
日本においても、例の「根クラ」と「根アカ」という貧弱な二項図式が端的に示すとおりに、「(ある最も低いレベルにおける)80年代的な感性」とは、抽象的にいうのならば結局は広い意味での「身体性」からいかにして距離をとるかという試みであったといえる。(90年代の肉体性への回帰がそれに対する反動であることは、もはや誰の目にも自明である)
ところでここでおさえておきたいのは、この時代に醸成されたそれらの不毛な二項対立が、社会の上澄みのような大多数の人々の価値判断の基準に、時代が下って現在に至るまで、かなり大きな影響を及ぼしているという点である。上記の、80年代がスカだった云々という説の言外には、こういった貧しい判断基準へのアンチテーゼが含まれている気がしてならない。
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ここのところ、先日も載せたTalking Headsをよく聴いている。80年代がファッション的にも50年代と密接な関係にあるのは目を凝らせばすぐにわかるのだけれど、それにしてもこの南部のイカレた白人のようないでたちは瞠目だ。これでもかというほど魅力の無い、charmlessなスーツとデッキシューズにクルーカットと、勿論これは意図的に演じられた格好で、ピンとこない人は例えば映画『フォレスト・ガンプ』のトム・ハンクスを思い浮かべてもらえれば解りやすいと思う。
舞台、でなくともどこぞの辻でもよい。「何かやってみろ」といわれて何ができるか、これはまさに「身体性」の勝負といってよい。この「Psycho Killer」は名曲で、「サイコ・キラー、ケスクセ〜」と歌われると、主題はサイコにもキラーにもなく、何かこう、「ああ、人生って確かにこうだよなぁ」とか「世界ってこうだよなぁ」とか、自然と喚起させる、そんな力がある。