charisma

ここ十年ほどの日本語でいう「カリスマ」の意味合いについては、片腹痛いので無視するとして、元来の、スタンダードな意味合いとしての「カリスマ」のもつ感覚、ある種の危険性については、例えばナチズムを参照すれば、その瞬間、何人も免罪されないだろう。


良いとか悪いとかではない。ただ単に、人間とはそういう生き物だというだけだ。つまり本来は、より集団沸騰的なもの、ある身体感覚に基づく、センシュアルなものだということ。


中心点としての人間。そこに全てが糾合され、そこから全てが投げかけられるタイプの人間。そういう人間がいる。少なくとも「そういう人間がいる」という人々の強い幻想なり欲求は、古来絶えずある。王。教祖。幻惑。聖性。排水溝であり、同時に太陽でもある存在。


ついでに言うと、日本の民俗学的には、こういったタイプの女性のもつ(とされる)力を、「妹(いも)の力」という。巫女。かんなぎ。世界中に類型がある。そして自分がこう感じた理由が、男としての自分に由来するものでないことを、最近の自分は、けっこう強く願う。