嘔吐2009

今朝、起きると何かがおかしい。頭がぐらんぐらんして意識が朦朧として、冷や汗が出てまともに立てない。立てないどころかだんだん体がほとんど動かなくなってきた。激しい吐き気を覚えたので、這うようにしてトイレに行って、便器を抱えながら吐くと、胃も、全身も痙攣した。


ああ苦しかった。あな苦しかりけり。何か悪いものでも食ったかな。昨日あんまりラディカルなことを書いたから罰が当たったかな。「罰が当たる」とか、昨日書いた内容を全面改稿しかねない勢いだけど、やっぱ人間一度ああなるとてきめんに弱気になる。「神様仏様あるいは何様でもいいけれど、オラもう生意気は申しませんだ、お助けくだせ〜」とか思っちゃったもんね実際。


まだちょっと気持ち悪いけど、だいたい治まった。普段ムダに身体が丈夫なだけに、たまにこうなるとビビる。マジで氏ぬかと思った。やっぱ健康第一だよなあ、「パンの問題」が一番大事だよなあとも思った、一瞬にせよ。しかし今日のあれは一体何だったんだろう。。。


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「あれは一体何だったんだろう」という話。そして(懲りずに)昨日の流れの話。


大学時代の後半、奇癖と呼んでもいい習慣があった。夜、当時うちに入り浸っていた人間が寝静まる頃、自転車で出かける。どこに?特に目的地はない。何のために?特に目的はない。あえて言えば盛り場ではなく、主に住宅地を走る。別に火を放つわけでも、何を盗むわけでもなく、ただ、走る。CDウォークマン(!)を肩から提げ、ブレーキが片手だけで、後ろに漕ぐともう片方のブレーキがかかる、SPALDINGのお気に入りのチャリに乗って、夜毎に朝まで走る。(ついでに言うと、よくまともに卒業できたもんだと思う)


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とにかく…どう書こうかなあ。あれは…あれらは特別な経験だった。まず思ったのは、「夜」が特別なのかということだった。確かに夜は特別だったし、それは必ず夜でなくてはならなかったけれど、それだけではなかった。何しろ町にも道にも、家々にも終わりがなかった。灯る窓もそうでない窓も、壁一枚を隔ててそこにある生活を想った。そこに住む人間一人一人には興味がなかったけれど、彼らの、ドラマタイズされた生活ばかりが妙に親しく感じられた。


戸外にありながら、常に「何かの内側にいる感じ」がした。こう…何か一つの、巨大な「全体性」の中の一部になった感じ。直感的にだが確信をもって「これは絶対に何かしらの出来事だ」と思った。街を無目的に彷徨う者のことを仮に「遊歩者」と呼ぶなら、そういうあり方はむしろ一種の普遍的なあり方であると知ったのは後年のことだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3

パサージュ論 (岩波現代文庫)

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ともあれ、奇妙な経験もした。朝方、調布の閑静な住宅地で、猫と蛇のケンカを見た。周りにまとまった緑などない明け方の住宅地で、あれはシュールな光景だった。あと、三鷹禅林寺と芸術文化センターの中間あたりで、気を失いかけた。それを「忘我」とかことさら宗教的な言葉で呼ぶつもりはないけれど、正直に言えば、この「夜の散歩」中の当時の自分にとっては珍しくないことだった。でも、その三鷹での「それ」は圧倒的だった。そういうのって、忘れられるものじゃない。聴いていたのがKula Shakerの'Great Hosannah'だったのはちょっと興味深い。「大いなる救済」…

さてさて、いま自分は勿論こんな素敵な趣味はもっていない。仮に同じことをしたとしても、感受性がついていかないだろう。ただ、こうやっていろんなものを失っていくんだなあと、呆けた顔をして思うばかりである。一つだけ言えるのは、上に書いたようななんやかやを一笑にふすような薄っぺらい人間を、自分は軽蔑するということだ。面倒だから表には出さないまでも、きっとこう思うだろう、「お前なんかに何がわかる」と。言い放ったついでにもう一つ言い切ると、あの三鷹で気を失いかけた一刹那を、自分は自分の一生の内で最も価値のある瞬間の一つだと信じているし、たぶん死ぬまでそうだろうと思う。