ブーバ/キキ効果〜言語と身体性〜

「ブーバ/キキ効果」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%90/%E3%82%AD%E3%82%AD%E5%8A%B9%E6%9E%9C
どうでしょうか?やはりブーバはブーバでありキキはキキじゃなかったでしょうか。俺は逆だったという人がいたら会ってみたい気もします。


 Bouba/Kiki effect


この本文にもあるように、どのような音からどのような概念を連想するかを、「音象徴」といいます。逆にいえば、ある特定の音は、ある特定の感覚や概念を想起させ得る、ともいえるでしょう。


ヨーロッパのほとんどの言語では「海」や「母」は「M」から始まります。これはこの両唇鼻音のもつある感覚を(無意識的にせよ)人間が感じ取った結果だ、というような考え方があります(まあ同じ語族だから当然だろうといえばそれまでですが)。


 Bouba/Kiki effect


日本語の五十音にその音象徴を求めようという動きもあるようです。


例えば、中井正一が『美学入門』でいっているように、古来から日本人の心性として「清らかさ」への嗜好がある。潔く、澄んでいること。常に流れ続けて濁りなく、滞らない状態。それを、神社の域内に入ったときに何か「さっと」浄化されたような感覚といってもいいかもしれません、無論ただの錯覚にすぎませんが。


これを逆にいえば、何かしら暗い、後ろめたい事柄への強い忌避の感覚ともいえます。「罪」の語源は「つつむ」といいます。この「明るく爽やかでないものへの漠然とした嫌悪感」に、日本的な思考停止の原因を求める向きもあります。民俗学的には、そこから差別に繋がるような「穢れ」の感覚も生まれるでしょう。(一方つまるところ西洋文明とは、それがあるとなしとに関わらずある根源を辿ろうとする「ほの暗いエネルギー」の集積であるといえます)


で、この「ある清らかで濁りのない感じ」には、無声歯茎摩擦音「S」の音が使われる傾向にあると。「澄んだ」水は「さらさらと」流れ、「涼しい」風は「そよそよと」吹く。「すがすがしい」朝。「さやけき」月。「冴えた」頭。ちなみに中国語の「死si」は、魂がスーっと消えゆく感覚が語源だそうです。


 Bouba/Kiki effect


(話が90度ぐらい傾きますが、自分の名前のイメージがあまり好きじゃない。生まれてしばらくは「かずや」という名前だったらしく、その方がより和風な感じがしてよかったなあ、という関係ない話)


 Bouba/Kiki effect


ここから人間の言語活動がいかに身体性に基づくかという話。


「概念メタファー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%82%E5%BF%B5%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
「楽しいは上、悲しいは下」(HAPPY IS UP; SAD IS DOWN)というところが洒落ている。「気分が高揚する/気分が落ち込む」「成り上がる/落ちぶれる」…これらはなぜか。


当たり前の話だけれど、人間は重力によって地面に縛りつけられている、あるいは、下方に引っ張られている、常に。人間に想像力というものがあり、自由を欲する限り、この「常に下方に引っ張られている感じ」というのは、少なくとも'bad'に感じられるはず。そして、そこから開放された状態、解き放たれた状態を夢想、想定したとき、その対象は必ずや'good'なものとされるでしょう。


「天国と地獄」というけれど、これは多くの宗教に共通する。「ニライカナイ」など、海の彼方に常世や黄泉の国を想定することはあっても、上下の概念が逆になったのは聞いたことがない。中国の「天」やモンゴルの「テングリ」は、この「上方に広がる何か」自体が信仰対象になったパターンでしょう。(↓一番下の空の写真が凄く綺麗です)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA