驟雨

しゅうう…と書いたけど、何のことはない、通り雨にやられた。洗濯物が濡れてしまった。向かいのアパートのお嬢さんは、よほど無頓着なのか、ときどき薄いカーテンを隔てて素っ裸でいる。あまりジロジロ見たわけじゃないから、正確には素っ裸に近い格好かもしれないけど、ともあれあれほど明け透けだとむしろ裸婦像を見たようで、あまりセクシュアルな感じがしない。それにしてもお嬢さん、これは老婆心で言うんだけどさ、あんた明日にでももっと厚手のカーテンを買ってきた方がいいよ。



 C 〜 U 〜 R 〜 T 〜 A 〜 I 〜 N



昨日のNational Story Projectに触発されて、ひとつ自分でも書いてみようと思う。「露呈」というべきか。


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父に兄がいることは幼い頃から知っていた。それについてほの暗い何かがあることも。折々に実家に集まる父の兄弟は、かしましい三人の伯母たちだけで、伯父が来たことは一度もない。あの日を除いては。


高校生だったある朝、階下に行くと様子がおかしい。誰か客らしいが、父も母も何か腫れ物に触るようだ。台所で母に小声で教えられた。伯父さんが来ているから、居間に行って挨拶してきなさい。


そのころ祖父母はすでに亡くなっていたが、以前に祖母から聞いていた。伯父は若いころ「失踪」したのだ。詳しく覚えていないのは、その祖母の言葉に母親としての万感の思いがあったことを慮ってやれなかった証拠でもあり、二重の意味で残念なのだが、とにかく庭に面したソファーに並んで座り、祖母から聞いたのだ。


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伯父は若いころ失踪した。家は商売をやっていたから、長男である伯父が継ぐのが順当なのに、ピアノが好きだった伯父は、ピアノ弾きだか調律師だかになると言い、家を出て音信不通になったのだ。それだけではなかったと思う。「女」という単語も出た気がする。とにかく伯父は消え、家は次男である父が継いだ。


こういう話は、わりと世間にはある話だと今ならわかるし、特に昔は多かっただろう。だが子供らしい反抗心のあった自分にとって、伯父は密かなヒーローだった。伯父が実は本当の父親で、いつか自分を迎えに来るとか、馬鹿な夢想をしさえした。その伯父が今、壁いちまい隔てて隣の部屋にいる。。。


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薄暗い居間の角に、不自然にこちらに背を向けて伯父はちぢこまっていた。小男だった。地味な服装をして背を丸め、盛んに何かしている。覗くと、くたびれた靴を直そうとしている。伯父が口を開いた。「ボンドあるか?」自分は引き出しからアロンアルファを取り出して渡した。「はい」と言って。


これが、これだけが生涯に伯父と交わした会話になった。「ボンドあるか?」「はい」…。今でも悔やまれる。なぜあのとき、小遣いでも何でもかき集めて、こう言えなかったのだろう。「あなたは僕の伯父だから。今日会えてよかったから。もう会うこともないかもしれないから。どうかこれを用立ててください」と。


学校から帰ってもそのままで、翌朝早くに伯父は「発った」という。どこへどう発ったのか知らないが、「人目につかないようにしたんだな」と、両親に対して腹がたった。もっともこちらも詳しい事情を知らないのだが。訊けなかったし、訊いても教えてくれなかっただろう。ただ一つだけいえるのは、今まで親戚中の誰ひとり、伯父のことを悪く言うのを聞いたことがないということだ。


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東京の大学に通っていたある日、母から電話があり伯父が亡くなったことを知った。自分は葬儀に出る立場にないということも。後で母から聞いたことだが、祖父のときも祖母のときも涙ぐむ程度だった父が、伯父の葬儀では身を震わせて泣きじゃくったという。


ところで伯父にはkさんという息子さんがあって、つまり自分にとっては歳の離れた従兄なわけだけど、いまkさんは結婚して子供もおり、この東京のどこかで立派にやっているという。「立派にやっている」というのは、酒が入ったときの、父のkさんについての口癖だ。そのことが父には無上の誇りらしく、必ず破顔するのだ。