タイトル

府中市立中央図書館は、去年まで大國魂神社の境内にあったが、今はルミエール府中という施設に大規模に新設されて、何より素晴らしいことに夜の10時までやっている。ふらっと寄って勉強できるし、冊数も十冊まで借りられる。十冊借りると結構な重さになる。自転車がよく倒れる。今日もコンビニに寄って戻ると倒れてた。自転車がちょっと、ぶっ壊れてた。


しかし何はともあれ図書館が立派なことはいいことだ。地方自治とか別に興味ないけど、東京みたいに多くの自治体が隣接してる場所にあると、図書館の良し悪しが嫌でも目に付く。この辺だと…武蔵野市は流石に全国でも有数の金持ちの自治体なだけに悪くない。小金井市国分寺市は正直ヒドい。調布市は駅前の綺麗なビルの中にある。国立市は文教地区のはずなのにショボい。稲城市は山の斜面を利用してちょっと美術館みたいな佇まいがイカす。


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ところでこのブログはmixiとリンクしていて、この日記のうp時刻とそのmixiへの反映時刻は、最大で24時間の時差があるということだけれど、昨日うっかりしてタイトルなしでうpしたら、mixiにそのまま反映されて、「■」という風に表示されていた。


で、それ自体は別にどうでもいいんだけど、その結果、いつもよりてきめんに食い付きがよかった。ははあ、なるほどね、とか思っちゃった。「全ての人が全ての人に優しくなったIT革命以後のこのセキュリティー社会」においては、こういうことを言うのはよくないことらしいんだけど、といって俺は気にせず言うんだけど、(大抵の人は)内容云々よりも「■」というunusualな風景に反応するんだ。


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アーキテクチャ環境管理型権力)」とかって、もうゼロ年代の若者の間では使い古された言葉で、今更むしろ恥ずかしいぐらいなんだけど、例えばフーコーが言ったように、近代以前の権力が「死の権力(こうしないと殺すぞ、もしくは迫害するぞ)」だったのに対し、近代以降の権力とは「生権力(こういう風に生きなさい)」である。


卑近な例を出せば、例えばファミレスはその温度や音量や椅子の硬さによって、客の回転率を操作するという。勿論それ自体が問題というのではなく、ポイントは、それは決して法に触れない、そしてかつての「王」や「為政者」のような、「全てを掌握する倒すべき相手」がいるわけでもない、ということ。つまり、「人々は、あたかも、自ら進んでそのようなあり方を選び取っているようである」ということ。


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いや、もっと自分自身の実感に基づいた言い方をするべきだろう。つまり、「世の中の、9割9部(9厘?)の人々は、みんな、『恐ろしく似通っている』」、誰が強制したわけでもなく。水の低きに流れるように、隘路に収斂されるように。英語に'Seacret Handshake'という言葉がある。秘密の握手。まあ別にそんな気のきいたものでもないんだろうけど。


もちろん表面的な趣味志向の違いは一見千差万別に見えるけど、最終的に何を求めるか、あるいは求めないかという点については大差ないだろう。つまり、近代って「自由な主体」が集まって社会を形成してるって信じられているけど、勿論そんなものは幻想にすぎなくて、多くの人々の内面は、その時代時代の環境によってつくられる。「個性」とか言われると、正直笑ってしまう。


…あ、また忘れてた、タイトルタイトル。