コミュニケーションの可能性について

広い意味で、「人間はひとりひとり違う」というもの言いと、「いや、人間なんてみんな似たようなもんだ」というもの言いが、背反しつつも共存し、そして遠からず「しゅ〜りょ〜」と雲散霧消するタイプの不毛さについて。


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別にマルクシストじゃあないけれど、マルクスの言ったことで面白かったのは、人間の社会を、「下部構造」と「上部構造」に分けたことだと思う。


今更いうことでもないかもしれないけれど…

「下部構造」とは、一言でいうと経済のこと。広い意味でのmaterialなもの、physicalなものの総体。「生産様式」とも。

「上部構造」とは、人間社会の経済以外の側面。つまり、政治や、法律や、文化や、宗教や、観念や感覚などの総体。


この下部構造が上部構造を常に規定し、それが歴史を動かす(史的唯物論)。だから人間性(上部構造)が疎外されずに充分にflourishされるためには、まず、何はともあれ経済(下部構造)の部分をしっかりさせましょう、というのがマルクスという人の言ったことの骨子だと信じる。それ自体を信じるかどうかは別として。


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で、何がいいたいかというと、この、社会を下部構造と上部構造に分けるというアプローチの仕方が、人間個人にも当てはまるということ。


つまり、「人間なんてみんな同じだ」という人は、人間の下部構造の話をしている。物質としての身体をもった存在としての人間と、そこからくる関係性。

「人間はみんな違う」という人は、人間の上部構造の話をしている。善し悪しや美醜の感覚や、能力や志向性、そしてある種の目的意識のようなもの。


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確かに、人間は「下部構造」に関しては共通する。しかし、「上部構造」に関しては(この歳になって痛感するんだけど、そしてこう書くと至極当たり前のことのようなんだけど)恐ろしく違う。実に、恐ろしく、違う。


問題は、そしてせいぜい人間にできるのは、その下部と上部の境界、ボーダーをどこに設定するか、ということぐらいだろう。もしくは、そのボーダーを個人の内側ではなく外側にもってくるか。つまり、全人口の中で、いくつかの「見えざるtribe」のようなものがあるのかもしれない。


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雨の予定が、降らないけれど風が強い。雲の動きも速い。食事でも作るか。

鶏肉、完熟トマトの缶詰、セロリ、舞茸、コンソメ、白ワインを煮込み、チーズをのせ、パンにつけて食べる。
余った安物の白ワインは、もちろん飲む。'Agua de Beber'「おいしい水」。